裏切られたではなく、自分が至らなかった〜石和実さんのメルマガより〜

こんにちは

マナビツナグヒトのみこりんです。

先日、ショックな出来事がありました。

職員がある報告を怠っていたことが判明したのです。

その事実には、

「それ、酷くないかい?」

と思える(私の価値観では)ことが含まれていて、

沸点を一気に超え、怒りのあまり目の血管が切れました。

『裏切られた』という思いがよぎりました。

その翌日、

石和実さんのメルマガのタイトルが、

「人に裏切られない最高の方法」

タイミング合いすぎ〜と思いながら読み、

うんうんと自分の気持ちを振り返ることができました。

相手を信用し任せた自分の思いが、

相手の行為によって思うように進まなかったのならば、

それは、相手を信用した自分に責任がある。

「裏切られた」と思う時、

「〇〇が〜したことが…」と主体は相手の行為となり、

任せた私は主体ではなくなるのです。

つまり、私は相手の行為に振り回されている客体です。

それは、私自身の判断に自信がないからではないか?と

石和さんは書いています。

でも、もし本当にその時に、
自分自身に自信を持っていた上で、
その相手を信用したのだとしたら、
きっとこう言うはずです。

「私はあの人を自分の判断で
自信を持って信用しました。

結局のところ、私に人を見る目が
なかったということですね。
勉強になりました(笑)」

自分に自信があったからこそ、
「思い通りにいかなかった結果」
というのは、単に自分の至らない点が
露呈しただけだと信じることができる。

だから、他人に裏切られたと、思わない。

この部分、読んでハッとしました。

そして思いました。

「私は、人を見る目がなかったんだ。

残念だけど、彼らを信用して任せたこと自体が誤りであった。」

自校の職員には情が移ります。

だから、よい部分だけ見てそこだけを期待してしまったのです。

でも、人間には負の部分もあるのです。

それを受けとめた上で、日頃から指導したり諦めたりすることも必要なんです。

自分が主体になる。

この言葉を、しっかり刻もうと思います。
先の件については、

「誤った行為」について、校長と相談し、指導の場を設けました。

相手が人間としてまだ未熟であることを認識し、

対応を変えることにしました。

感情で、これからもつまずきそうですが、行動を変えることで、主体を持てるようにしたいです。

痛い勉強でした。

石和さんの適時なメルマガに感謝!!

読んでくださりありがとうございました(^O^)

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この記事を書いた人

みこりん