こんにちは
マナビツナグヒトのみこりんです。
平井堅さんの歌で、
「Gaining through loosing」というものがあります。
出会いと別れの繰り返しの中で手に入れてきたもの、
その意味や尊さを歌の中で考えさせられます。
まさに私が最近失ったものと手に入れたもの、
そのことを実感するタイトルなのです。
失ったものは、
介護していたウサギのらいたです。
手に入れたものは、
これからの生き方のヒントです。
というのも、
らいたが亡くなった日とその前日、
私はある合宿に参加のため家を空けていました。
出かけるギリギリまでらいたの世話をし、
信頼できる人に不在時の介護を頼み、
家族にもメール等で様子を聞き取っていました。
だから、帰宅して様子がおかしいのに気づき、
その後一気に命が尽きてしまったことを
信じることができませんでした。
また、
「私がいれば異常に気づいて対処することができたのでは?」
「私がいなかったから、見捨てられたと思ってしまったのか?」
そういうことも考え、
留守にした自分を悔やんだりもしました。
でも、
その合宿ではとてもすばらしい出会いと、
今後の100年LIFEに関る重要なヒントを
手に入れることもできました。
私にとっては、本当に貴重で有意義な合宿でした。
だから、それを関連づけてはいませんでした。
しかし、先日会食した友人が、
「転換期や新しいことを始める時は、
何かを失うことがある。」
と話すのを聞き、まさか・・・と思いながらも
その2つを関連づけて考え直すことになりました。
私の新しい生き方は、
らいたの側につききりでいたら得ることはできませんでした。
らいたが、私を出してくれたから、
出会いと未来を手に入れられたのかもしれません。
らいたの大切な命と引き換えかも?と思うと、
申し訳なさでいっぱいになります。
また、その命に報いることはできるのだろうか?
ということも考えます。
もちろん、全くの無関係ということもあります。
しかし、このタイミングで
とても大切なものを「失い」「手に入れる」ことができた
その意味を深く考えたいと思うのです。
もう1つ、この経験からの学びがあります。
それは、
「思い込みによる思考停止」です。
正しくありのままを視るのではなく、
自分の思い込みや先入観から物事を視て、
そこから自分が望む結果を導いてしまうことが
よくあるのです。
視たいものしか視ない自分を再認識しました。
もう1つは、「身近なものを軽視してしまう」ことです。
何かに夢中になると、
それが優先順位の第一位に上がり、
他に重要なことがあっても
そちらを軽んじてしまうことがあります。
具体的には、自分、家族の健康がこれに当たります。
好きで夢中になるだけでなく、
仕事や業務が優先第一位になっていることもあるので、
これは本当に気をつけたいものです。
つらつら書いてしまいました。
1つの命を失った日に、
新たな生き方のヒントを手にいれる。
この意味は大きな学びとして
絶対に忘れません。
ここから、しっかりと生きていく私になります。
今日も個人的な話になっちゃいましたが、
読んでくださりありがとうございました。