「主体的である」ということ〜不快な電話も自分の意志で聞き流せばいい!〜

こんにちは

マナビツナグヒトのみこりんです。

ミッションは、「世の中に子どもの笑顔を増やすこと」です。

友達が開催してくれたイベントのため、

「7つの習慣」のうちの第1の習慣の部分を読み直しました。

第1の習慣とは「主体性」です。

ここでいう「主体性」とは、

人間として、自分の人生の責任を引き受けることを

も意味しています。

自分の行動は、自分自身の決定と選択の結果であるのです。

責任を引き受けるということは、

状況や環境に流されることなく、

自分の価値観に基づいて自ら決定・選択するということなのです。

では、私自身は主体的であるか?

そうでありたいと努めていますが、

感情や状況に振り回され、

自らが望む価値観とは違う選択をしてしまうことがあります。

それもかなり・・・。

昨日、ある電話が原因で、

とても不快な思いをしました。

その思いが何に起因するのか、よく考えもしないうちに、

私は2つの選択をしました。

1つは、不快感をあらわにすること。

もう1つは、そのまま相手の言い分を聞き続けたことです。

第1の習慣では、

事象と行動の間に4つの選択があります。

「自覚」「想像」「良心」「意志」です。

もし、この4つの基準を意識して選択していれば、

後々嫌な思いをすることなく、

自分の選択の結果に満足できると思います。

でも、実際はそうではありませんでした。

選択はしたけれど、

「主体性」を発揮したのではなく、

「反応」によるものだったからだと

今になって思います。

なぜかというと、

その電話の内容は、

私の自尊心を傷つける内容だったからです。

職務上仕方ないという理由で受け入れたものの、

心の奥底では、自尊心を傷つけられた思いが

拭いきれませんでした。

では、どうすればよかったのか?

「職務上の義務」ではなく(決してそうではないはずなので)、

自分の「意志」を持ち聞くことが大切だったと思います。

すなわち、

「この電話は、相手の価値観によるもので、

私の自尊心を何ら汚すものではない」

と決めて聞き流すということです。

そこに、何も意味はないのです。

ただ、相手がかけたかったからかけてきただけ、

そう思って自分の領分に入れなければよかったのです。

そこまで思たら、不快な気持ちは軽減しました。

全ては自分が決めればいい、

そしてその決定だけに責任を持つようにしたいと

改めて思いました。

私は、「主体的」でありたいです。

そう意識して行動していこうと思います。

読んでくださり、ありがとうございました。

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この記事を書いた人

みこりん