おはようございます。
マナビツナグヒトのみこりんです。
『7つの習慣』byスティーブン・R・コヴィ
の中に
「まず理解に徹し、そして理解される」という章があります。
これは5つ目の習慣として設けられています。
相互依存のパラダイムの中でも、
人間関係を築く上で最も重要なことは、
「自分がどういう人間であるか」ということと、
書かれています。
この5章では、
「相手が信頼する人格を土台に、
共感して聴くスキルを身につける」
としています。
「処方する前に診断をする」の例えの通り、
相手の言わんとするところを理解することから、
相互に満足できる関係が作れると
いうことです。
ここに書かれていることを読んだり、
友達と意見や身近な事例を交換したりする中で、
怖い事に気づいてしまいました。
教師としてのみこりんは、
子ども達の言動から、
その本意を探ろうとしたり、
適切な言動を指導したり、
なんとか相手の心に届くように、
あの手この手を使って
関わってきました。
そして、それが相手を理解して、
コミュニケーションをとることと思っていました。
でも、それは、
「相手を変えようとする」という恣意があっての
コミュニケーションでした。
「相手を変えるために、相手の話を聴き、
自分がよいと思う通りになるよう、
相手の言動を変えようと働きかける」
コミュニケーションでした。
学校は集団生活の場なので、
すべて自分が思う通りにすることはできず、
集団のルールに従うことが大切です。
しかし、それを重視しすぎるばかり、
個の主体性を活かすことへの意識が足りなかった
と感じました。
今でも、多かれ少なかれ、
ほとんどの教師が同じような関わりをしていると
思います。
これでは、主体性を伸ばすと言っても、
相手の意思を尊重した主体性ではありません。
この章から学んだ重要なことは、
相手を理解するためには、
自分を変えていくことが必要だということです。
相手と同じ立場に立つことはできませんが、
相手の思いに近づいていき、
理解しようとして聴くことが
共感により聴く
ことにつながると思います。
最終的に、
自分も相手も主体的に行動できるような
コミュニケーションをとることを目標に、
自分の聴き方、関わり方を変えていきたいと
思いました。
友人との読書会はとても有意義です。
自分だけでは気づけなかったことに気づくことができました。
読んでくださり、ありがとうございました。