「みらいの教育 学校現場をブラックからワクワクへ変える」を読みました。先生も子どももワクワクできるみらいの教育ってなんだろう?どんなことが必要なんだろう?そんなことを知りたくて読んだので紹介します。
こんにちは
マナビツナグヒトのみこりんです。
「みらいの教育 学校現場をブラックからワクワクへ変える」を読みました。
「みらいの教育」を考えたい!
この本は、対談と著者の論文、そして資料の3部から構成されています。
著者は、教育社会学者の内田良先生と教育哲学者の苫野一徳先生。
現在の教育現場は、子どもたちをめぐる問題や教師の不祥事など、
暗いイメージも垣間見えます。
その閉塞感の1つにあるのが、教師の苦しい働き方です。
長時間労働や休日出勤に様々な問題対応、
そのため心ならずも教職を離脱する方や、
体の不調で倒れてしまう方もいらっしゃいます。
このままだと、教師だけではなく、保護者や教職を目指す学生にも
希望の光を見出すことが難しいです。
お二人の対談から、
先生も子どももワクワクできるみらいの教育の姿を
見出したいと思いました。
本書から印象に残ったことを3つ紹介します。
教育社会学と教育哲学のマッチング!?
教育社会学は、エビデンスを持って語る。
かたや、
教育哲学は、教育の土台とも言える原理論。
その研究をされつつも、著作や講演会で、
教育の課題や方向性に向けて提言されてきた二人の対談。
現在は、エビデンスに基づく政策提言が推奨されているとのこと。
例えば、こういう方法を使うと学力が上がる、だから・・・と
そのまま取り入れてしまうと教育の本質と外れないか?
その点を見る目も必要だということです。
教育はエビデンスだけではなく、
哲学を根底に敷いて構想される必要がある、と
苫野先生はおっしゃっています。
この原理とエビデンスが融合し、
本当に、今、必要なことに力を入れられる教育へと
変わっていってほしいと思いました。
ワクワクできる学びこそが重要!
学校教育も、教員、子どもたち、保護者、地域の方々皆で一緒に、
「どんな学校なら楽しいか」「どんなことがあればワクワクするか」を
発想し直してみると様々な課題の解決策としては、意外に早いもかもしれません。 P49
この文章にグッときました。
そうなんです、学びは本来ワクワクするものなんです。
なのに、その学び場から、ワクワクが剥ぎ取られているような気がします。
苫野先生が提唱している、
学びの中核は探究である、という考え方に大賛成。
子どもたちの関心を掻き立てる課題から、
問題を追及したり、気づきを表現したり、
主体的に取り組んでいける学びのスタイルを大事にしたいものです。
学校を再び「ワクワクする学びの場に!!」
2人が論じる教育の特殊性とは?
第2部の論文では、それぞれの立場から
教育の特殊性について述べています。
ちょっと興味深いので、少しだけ紹介しておきます。
苫野先生は、教育の目的を「人格の完成」に置くという誤りが、
教師の仕事は、崇高で特殊である、という意識を生むとおっしゃっています。
確かに、どの仕事も崇高なことでは変わりなく、
教員の仕事だけを特殊扱いすることへ危惧の目を向けています。
その元にあるのが、教育の本来の目的です。
「自由の相互承認」の感度を育土台に、自由に生きられる能力を育むこと、
そのことによって市民社会の土台を築くことと論じています。
内田先生は、教師の働き方に対し、
「献身的」という自己犠牲のメンタリティの上に成り立つと仰います。
それを後押しするのが、給特法という法律の存在。
この法により教師の時間外労働が認められるという異質のものです。
それが、時間意識とコスト意識の欠如を生み、
超時間労働を当たり前とする現在の働き方を引き起こしていると
論じているのです。
どちらも他の職には見られない特殊な性質と言えるでしょう。
まとめ
私は本書を読んで、
みらいの教育に重要なキーワードは、
「ワクワクできる学びの場づくり」
だと思いました。
その実現のために、
お二人の提言や様々なエビデンスや対話の場から、
その実現に向かう道筋ができることを願っています。
私が今取り組んでいる、
心のキャリア教育であるユメカキ☆NOTEの授業は、
子どもたちのワクワクをベースに、
価値観を大切に未来を創造するものです。
学校を離れてはいますが、
いつでもどこでも、ワクワクする学びの場を作る
マナビツナグヒトをめざしていきます。
読んでくださりありがとうございました。
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「みらいの教育 学校現場をブラックからワクワクへ変える」
内田良・苫野一徳(武久出版)