こんにちは
マナビツナグヒトのみこりんです。
「児童相談所ってどんなところだろう?」
を知っていただくために読書会を開催しました。
読書会?いや、語り合いの会!
私自身が、この件についてもやもや感があったのですが、
集まった方もやっぱりもやもや感をお持ちでした。
読書会と言いつつ、本は6分しか読みませんでした。
ほとんどの時間が、
自分が関わっている仕事や抱えている疑問の共有、情報交換。
少人数でクローズドな会場ということもあり、
普段外には相談できないことも、
話すことができ、他の方のアドバイスにも励まされました。
私は教育現場からですが、福祉現場や日常の母の生活においても、
子ども達を取り巻く重い重い問題がありました。
常識ではありえない!ことばかり・・・
つまり、ありえないような子どもの問題が児童相談所に寄せられるということでしょう。
両親の手に負えないから社会的養護において子どもを育てる、
そういう絵図になっているように思います。
しかし、それは子どもにとって本当に幸せなのだろうか?
誰も答えられないけれど、きっと誰もが抱いている問いではないでしょうか。
課題本にした「ルポ児童相談所」by慎泰俊(ちくま新書)のP148〜P152に、
「家庭介入と家庭支援は分けるべきではないか」という記述があります。
職権による保護に近い介入は、親にとっては受け容れられないことと映る場合もあるようです。
そのため、次の3つの理由で違う機関が行った方がよいのではないかと書かれています。
⑴ 一時保護とその後の問題解決を早期に行うことができる。
⑵ 児相が強制介入権を持ったまま日常的に支援している家庭を訪問するする場合、近隣家庭に誤ったシグナルを与えてしまう可能性がある。
⑶ ケースワーカーの負担軽減の観点より。
この部分に、関心が集まりました。
介入と支援を同時に行うことが保護者を追いつめていることから、
ねらいであるはずの家庭の再構築を難しくしてしまうのではないかということ。
残念ながら不安や偏見を持つ方が多いということ。
また、家庭支援は重要なことなので、そちらに専念してほしいという意見もありました。
話し合いからは、「なにをすればよいのだろう?」「どうすればよいのだろう?」
という言葉が何回も出されました。
それほど、問題を抱えている現場は解決のための手だてを欲しているということです。
現実を直視すると、問題そのものに対する即効的な解決策はありません。
もやもやを抱えながら、見ている、あるいは淡々と仕事をするしかないのです。
それでも、少しでも希望を見出したいと言う思いはあります。
あっという間に終了時刻になってしまい、
本当に落としどころのない読書会という名の語り合いの会になってしまいました。
個人がどう思おうと、人の考え方や生き方を変えることはできません。
自分ができる範囲内でできることに真摯に取り組むだけしかできないのです。
そのために、勉強も必要だろうし、よりよい支援を求めて他機関と連携することも大事かもしれません。
私は、子どもの話を聴いたり、子どもが少しでもホッとできる瞬間を作ったりすることならできると思います。
こうやって、気づきや考えを発信することもできます。
微力でも、何もしないのではなくそれらを地味に積み上げていくしかないかなと
今は思っています。
昨日は子どもの貧困について記事を書きました。
今日は児童相談所、本当に重くて暗い記事が続きました。
どちらも子ども達の未来への希望を蝕む問題が山積しています。
そして、どちらもあまり世の人には知られていません。
子どもの問題は、当の子ども自身に責任はなく、解決する力もありません。
だからこそ、その問題を生み出した社会の一員である大人が、自分事として捉え、
まじめに解決への道を探ることが大事なのだと思っています。
読んでくださりありがとうございました。