今朝の新聞を見て体が震えました。
虐待され、死に至った5歳女児の手記が
掲載されていたのです。
TOKYO WEB(東京新聞)6月7日より
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201806/CK2018060602000264.html?ref=rank
「ゆるして」
「もっとできるようにする」
「約束する」
これを5歳の子が、
虐待する親に向けて書いていたのです。
みこりんブチ切れそうです!!
子どもが親にこういうことを書いて(書かされて)いる場合、
そこには虐待があると見られます。
それを指摘され、
「躾としてやっています。」
という答えが返ってきた場合、
ほとんど確実に虐待があります。
だって、当の親には、
自分が虐待をしているという
罪の意識がないのです。
この事件が起きたのは3月。
今になって、その背景が報道されています。
事件を防げなかった、
児相の不手際も報道されています。
それを読んでも、怒りが湧いてきます。
子どもは生きる環境を選べないってこと、
だから子ども福祉には、
その環境を整えることが必要なんです。
5歳の彼女は命を落としました。
でも、命はあっても、
同じように躾と称される虐待を受け、
自分が悪いと、自ら生きる力をなくしてしまう子も
いっぱいいると思います。
躾とは身を美しくすると書きます。
身を削るのも、身を失くすのも、
躾ではないんです。
親の暴力の正当化のために使ってはいけないんです。
言いたいことの整理ができないので、
ここでやめます。
でも、この記事を読んでくださっている皆さんには、
虐待を見逃さないでほしい。
どうかお願いします。