こんにちは
マナビツナグヒトのみこりんです。
先日校長から、
「自校で9月1日に登校できなさそうな子は誰ですか?」
と訊かれました。
2015年に、
「学校に始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館にいらっしゃい。」
というTweetが話題になったことは記憶に新しいと思います。
18歳以下の自殺者数が、8月31日〜9月2日に非常に多いことから、
9月1日問題として多くの認知を得ているところです。
今週から、自校でも各担任に対し、
心配な児童がいないか調べ、その児童の状況について確認するように指示が出ています。
これと言った原因ではなくて・・・
新聞やネットでも、9月1日を前に子どもたちや親・教師へのメッセージが出されています。
その多くは、子どもの様子に不安がないか観察し、悩みを聴き取るようにというものです。
私は、学校に行けなくなった後、フリースクールで自分を取り戻した児童のインタビューを読みました。
そこに書かれていた言葉で強く心に残ったのは、
「原因はこれといったものではない。色々なことが積み重なり、限界を超えてしまったのだ。」
という学校に行けなくなった時の気持ちでした。
その児童は、特別なことや大きなことが原因ではなく、
学校生活の中で、友だちにからかわれたり、教師に責められたりしたことが重なって
学校への恐怖となっていったことを語っていました。
そういう関わりから離れ、自分らしくいられる場を見つけたことが、
その児童にとって再び生きる気力を培っていったようでした。
生きていればこそ・・・
私が関わってきた子どもたちの中には、
学校に来られない子どもたちもいました。
学校に来て欲しいという気持ちは常に持っています。
でも、学校に来る,来ないよりも、もっと大事なのは、
その子らしく生きていくこと
だと思っています。
学校に来られない子は、
生きる力が弱っているということも考えられます。
だから、その力をまず取り戻し、
そこからゆっくりと自分らしく生きる道を探せばいいと思います。
何かしらの理由を抱え苦しんでいる子に一番伝えたいことは、
「とにかく生きよう。生きていれば、きっといいことがあるよ。」
ということです。
教師としては情けないんですけどね。
もし、何らかの心の負担を抱えて学校に行けないと言うとき、
周りの人が決してしてはいけないのが、
「どうして・・・」「なんで・・・」と問いつめること。
「〜すべきでしょ」「〜できないなんて・・・」と責めること。
「〜だからなのね」「〜すれば大丈夫」と決めつけること。
弱り切っている心にこの3つは更に負荷をかけてしまいます。
これらは、その子自身を「否定」することになりかねません。
自分の気持ちを「否定」されたら、それ以上もう口を開くことはできないし、
助けを求めることもできなくなってしまいます。
特に、危険なのが3つめの「決めつけ」
これは私も痛い記憶がありますが、
「こうあって欲しい」という自分の希望をその子に押し付けることとなり、
結果、その子の本当の姿や思いを否定することになってしまいます。
まずは聴く、次にも聴く
では何をすればいいのかというと、
やはり「聴く」ことが第一かなと思っています。
「問いつめる」とは違います。
子どもの言葉、思いを、口を挟まずに、ただ聴くのです。
自分の気持ちを受け止めてもらえたと子どもが思えるまでは、
ひたすら聴くことが肝要です。
驚くようなことを話されても、それで聴き手がパニックになってしまったら、
話すことはできなくなってしまうので、
聴き手としては、安定した態度で共感的に聴くことを心がけて欲しいです。
どうすればいいかは、
その後考えるでよいのです。
生きていればいくらでも手を打つことができます。
聴くのは、親でも教師でもいいですし、学校に行けばカウンセラーや養護の先生もいますから、
そういう人を頼ってもいいと思います。
聴いて、受け止めて、心の負担を外してあげることです。
9月1日、教師としては、子どもたちが元気に登校することを願っています。
でもそれが難しいのなら、遠慮せずに相談して欲しいとも思っています。
一人で抱えないことも大切です。
読んでくださりありがとうございました。