みんなちがってみんないい〜「ぼっち」に思うこと〜

こんにちは

マナビツナグヒトのみこりんです。

「みんなちがってみんないい」

これは、大正〜昭和に生きた童謡詩人

金子みすゞ さんの詩の一節です。

「わたしと小鳥と鈴と」

というこの詩の中で、

それぞれの価値を見つめ、

それぞれが素晴らしいと歌っています。


この一節とは逆の意味で使われている言葉も

多々存在し、悩ましく思います。

例えば「くりぼっち」

この言葉、最近よく聞きます。

私、これってお菓子の名前だと思ってたんです。

一口サイズの栗のおかし・・・

モンブランみたいな栗まんじゅうみたいな!

でもどうやら世間では違う意味で使っているようです。

そして、その違う意味、

私は嫌いです。

というか、堂々と流している方々(メディア含め)に、

考えていただきたいと思っています。


子ども達の中で

人のことを「ぼっち」と囃す

いじめがありました。

言われた子どもは、

泣きながら家に帰り、

保護者から抗議の電話も来ました。

この時、

「ぼっち」という言葉は、

1人でいる子をバカにして傷つけるために

使われたのです。

なぜ、「ぼっち」がいじめにつながるのか?

それは、

「友達がいる」ことがよいことで、

「友達がいない」ことはみじめなこと、

という短絡的な思い込みによると思っています。

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私としては、

個人行動が大好きなので、

「ぼっち」という言葉には何の感情もありませんが、

その「使い方」に関しては非常に不愉快に感じます。

つまりは、そこです。

「ぼっち」には、

標準的な(といったら齟齬があるとは思うのですが)価値である、

「友達がいる」こととは外れているという

見方があると思います。

この標準的な価値から外れたものを、

区別し、蔑み、囃し立てる、

これがいじめにつながるのです。

だから、

「『ぼっち』だっていいじゃん」

とその子が思っていたとしても、

付随する「区別」「蔑み」「囃す」ことは、

言葉とは別の、絶えられない行為なのです。

もちろん、

「ぼっち」であることを自身も恥と思っていたら、

言葉自体も絶えられないものになります。

自分や標準の価値とは違うものを区別し蔑む意識や行為、

違いを排除しようとする意識・行為、

これを正していくことの重要性を

日々感じています。


前述の金子みすゞさんの詩、

これは教科書にも掲載されているものです。

そこで、子どもたちは

一人ひとりのよさを認めようと学ぶのですが、

実際にはなかなか腹落ちとまではいかないようです。

それでも

「みんなちがって みんないい」と

1人でも思える子どもを育てることは

学校の仕事でもあるのでがんばらないと!ですね。

読んでくださり、

ありがとうございました。

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「わたしと小鳥と鈴と」 by金子みすゞ

〜わたしが両手を広げても お空はちっとも飛べないが

飛べる小鳥は わたしのように

地面(じべた)をはやくは走れない

わたしがからだをゆすっても きれいな音は出ないけど

あの鳴る鈴は わたしのように

たくさんなうたは知らないよ

鈴と 小鳥と それからわたし

みんなちがって みんないい〜

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